カナダ西海岸、ハイダ族が島全土で栄えた。
その島の名前は Haida Gwaii「人々の島」。
Xaadala Gwayee 「世界の果ての島々」とも呼ばれている。
バンクーバーから北西に750km、アラスカ国境から70km南に位置し、
地球が織りなす太古の森と豊かな海が残る。
森の中には、苔に包まれた古の巨木たちが静かにたたずむ。
海辺では、潮の香りと共に波の音が響き渡る。
時折見かけるアザラシや白頭鷲がその存在を示してくれる。
その無人地帯で14泊15日。
すべてを自然に委ね、幕営と焚火で過ごす。
シーカヤックで水面を滑るように進み、そして200kmを超えた。
----- 世界は広く、無限の美しさと驚きが待っている。
山々の静寂、森のささやき、砂漠の果てしない広がり。
どの場所も、それぞれが特別で、その場にしかない魅力を持っている。
旅をすることで新しい発見があり、自然の壮大さに触れることで、心が豊かになっていく。
だからこそ、未知の場所に心を開き、冒険を求めて踏み出してほしい。
その一歩が、人生を変える貴重な経験へと繋がるのだから。
波のリズムに身を任せ、緑豊かな森林が海岸線に迫り、透き通った海水の中には色とりどりの海洋生物がいる。時折、遠くの山々から吹き降ろす風が頬を撫で、心地よい涼しさを感じさせてくれる。夜には星空に包まれ、月明かりが海面に金の光を投げかける。
クジラが優雅に海面を割って姿を現す瞬間は、息をのむほど美しい。そして、時にはシャチの群れがダイナミックに泳ぐ姿を見ることができるかもしれない。
世界は広く、無限の美しさと驚きが待っている。
現地の人々との交流、異なる文化との出会いが私たちの視野を広げ、心を豊かにしてくれる。
異なる肌の色、目の色、話す言語、伝統、宗教を持つ人々と出会うことは、時に戸惑うこともあるかもしれない。しかし、これらの違いを超えて、「人」として語り合うことができたとき、私たちは新たな視点を得ることができる。
そして彼らの経験や知恵は、私たちの行く先を照らす灯りとなる。
私たちの旅はシーカヤックを使う。
ただの移動手段ではなく、人生そのものを深く味わうための特別な道具なのだ。
カヤックのパドルを握りしめ、最後の一漕ぎを終えたとき、胸に広がる充実感と共に、自然への感謝の気持ちが沸き起こる。帰り際に見送ってくれるのは、再び静寂を取り戻した海と、かすかに揺れる木々の囁き。これからの日常生活に戻る際には、ここで得た静けさと調和の感覚を忘れずに、心の中にいつまでも大切に持ち続けていきたい。そして日常の中でふとした瞬間に甦るだろう。
この旅が終わった今も、大自然は変わらずそこにあり、次なる冒険者を待っている。再び訪れる日を夢見て、新たな物語を紡ぐ時が来ることを心から楽しみにしている。自然と共に生きる大切さを忘れず、心の中でいつまでもこの特別な場所を大切にし続けたい。
村田泰裕が30年以上前に、カナダ・アラスカを旅していた際に出会った本。星野道夫「森と氷 河と鯨:ワタリガラスの伝説を求めて』。2010年までは[クイーンシャーロット諸島]と呼ばれていたハイダグワイが、綺麗な写真と魅了される文章で紹介されいてる。本に呼ばれた、2001年と2003年。この場所に揉まれながら旅を続けた彼は、その美しい自然と深い文化に心を奪われた。その元で学んできた私には、彼の口から語られるその景色を想像することが出来なかった。何が現れ、去っていくのか。
器の中は空っぽのまま、世界の果ての島に行く準備を私も始めた。
パドル、ウェアにテント、心を励ましてくれるであろう日本食。
あんこにきな粉も荷物の最後の隙間に入れた。
大量の荷物を持ち、成田空港から出国を迎えた7月6日。
まずはバンクーバー空港へ向かい、笑顔のみんなと合流できた。
そしてプロペラ機に乗り替えハイダグワイへと向かう。
定員80名ほどの小さなプロペラ機。小刻みに揺れる身体がふわっと浮く。
眼下に緑豊かな島々と透き通るような海が見え始め、心が躍るのを感じた。
自分が鯨と共に漕いでいる姿が、私には見えるのだ。
到着したサンドスピット空港は、こじんまりとして小さい。
コーヒーの美味しいカフェもあり、人々の憩いの場所になっていた。
とても素敵な空港だった。
町は北島と南島にあり、南島には小さなスーパーがある。
綺麗な庭から、ふくよかな猫がゆっくりと迎えに来てくれた。
宿の玄関には「猫が入るため、開けっ放しにしないように」と紙が貼られていた。
カウンターには9人分のマフィンが並び、部屋割りがボードに記されている。
海の目の前、緑が綺麗なウッドデッキ。
聞いたことのない小鳥のさえずりや、沢山の美しい木の実。
浜に上がった魚を白頭鷲が捕まえている。
耳を澄ませながら、テーブルいっぱいに地図を広げた。
モレスビー島の南側約3分の2を中心とする地域「Gwaii haanas」。ハイダ語で「美の島々」を意味する。カナダの国立公園保護区に指定されており、世界遺産のスカングワイも含まれている。グアイハアナス国立公園保護区へ入るためには、入場パスが事前に必要。そして管理者の元で、オリエンテーションを受ける必要がある。国立公園内にパドリングで入るために、動物保護区域や焚き火の扱い、ハイダ集落を訪ねるためのルールなどを学ぶ。また釣りをする際はソルトウォーターフィッシングライセンスが必要となる。
地球の地軸は、およそ23.4度傾いている。
高緯度の地域は夏には、一日中太陽の方を向くことになる。
そのため1日中、太陽が沈まない地域が出てくる。
ここも緯度52度〜54度の位置にあり、太陽が隠れはじめたのが午後9時を回ってから。
それに加えて日本との時差は16時間。時差は長いし夜は明るいし、と、全員時差ぼけがなくなるまではかなり時間がかかった。
一台のバンの中に、信じられないくらい積み込まれた荷物。
現地のカヤック会社にお願いをして、スタート地点までの移動手段を事前に確保していた。
15日分の食料や各自のキャンプ道具と衣類が詰まった防水バッグで車の中はいっぱい。
座席の足元まで詰まった荷物の隙間に座る。
到着すると、幸いなことに雨はかなり小降りになっていた。
手際良く荷物を降ろす。"卵"とシールに書かれた防水バッグが混ざっている。
卵は140個、準備していた。なんせ405食分の食料。それでも足りなければ、海の恵がある。
釣り道具を大切に車から降ろした。
スタート地点はMoresby campと呼ばれ、広場のようになっている。
以前来た際にはここの草むらでテントを張り、一泊した。
その時テントから100mほどのところでブラックベアの親子が歩いていたのは、
今では笑い話になっている。
カヤックへの荷物の積み込みが始まった。
こんな大量の荷物の積み込みなど初めての者ばかりだ。
本当に積み込めるのか苦笑いをしていた。
波打ち際にいると、海が次第に遠ざかっていく。
干潮に向かうと、海面の水位が変化するため、荷物をカヤックの近くに運び、岩場に上がったカヤックを再び海に戻す。この作業を何度も繰り返した。
カヤックの中が荷物でいっぱいになり、かなり重い。
浜に転がってしまうと一人ではどうにもならない。
六人で船体をバランスよく持ち、キャンプ地から海岸へ運んだ。
今、海面に浮かんでいる。穏やかな波に揺られながら、ゆっくりと進んでいく。
それぞれが一様にこの瞬間を楽しんでいる。
さまざまな形の島が見えてきた。全員が地図を見つめ、自分がどこにいるのかを実感し、その地形や風景を、不安を抱えていた過去の「自分」に伝えているようだった。そして進む方向への期待が高まり、自然と笑顔が広がった。
深い渓谷は次第に狭くなり、水深も浅くなってきた。
海面に映る森が美しい。雨の青い世界から緑の世界に変わる様子を見せる。
浅瀬の浜には、「オイスターキャッチャー」と呼ばれる、赤いくちばしの鳥が現れた。
平たいくちばしで忙しそうに牡蠣の殻をこじ開けているのだ。
二日目の朝。苔の森で響く鳥の唄で目が覚める。
昨夜見つけた熊のフンを靴先で転がした。みんなのテントが無事にあり、安堵した。
朝食の準備を始める。湿った木を裂き、やっとの思いで火がついた。
パーコレーターに水を汲み、コーヒーを淹れる準備をする。
カヤックに荷物を積み込み、今日が始まった。
自分の居た気配を浜に残して、進む。
カヤックから釣り糸を垂らすと、すぐに魚の反応があった。綺麗な鮃がかかった。
「今日は釣りにしよう」
しかし、釣り竿を握りしめた瞬間、空から一粒の雨が頬を打った。
見上げると、灰色の雲が空一面に広がり、霧が湧き始めた。
一瞬、漕ぐことが止まり、お互いの顔を見合わせる。
「上がりましょう」
浜に上がり、大きなタープを張る。草むらを覗くとここにも熊のフンを見つける。
お邪魔してますと口から漏れた。そして私はカッパを羽織り、釣りに行く準備をした。
水面に広がる波紋は美しく、雨の音と相まって心地よいリズムを奏でている。
魚がかかるのを待ちながら、静寂を楽しんだ。
尾行され、観察されている。
付かず離れずの距離で、現れては不思議そうにかしげる頭を横目に漕いで来た。
アザラシたちの好奇心旺盛な目がこちらを見つめている。
水面から顔を出してはまた潜った。波が揺れる中で、彼らの姿は一瞬、幻のようにも見える。時折、釣りのルアーにも興味を持って、投げるたびにこちらに寄ってくるのには困った。
ラクーンは海岸に出て、カニを捕まえていた。
いたずらな性格のようで、あまり怖がりもせずに夜になるとテントを横切っていく。用を足そうと出た私と会うが、気にも止めない素振りで、トコトコと森へ消えた。
薪を集める。
沢を見つける。
地図を読む。
テントの中には食料を持ち込まない。
この4つ、毎日生きるために必要なことだ。
自然の中での生活に絶対はないが、格段に安全で快適になる。
焚き火を囲んでみんなと語り合う時間は、今日も無事だったと思える貴重なひとときだ。
「明日は休みましょう」
みんなの様子から、昨日そう決まった。
ここまでで57km程を漕いでいたが、重いカヤックを漕ぐことの疲れ以上に
浜に上がってからの、この「毎日生きるため」の作業が堪えた。
停滞に選んだ浜は、幸い燃えやすい枝、そして焚き火に向いた大きさの薪が簡単に集まった。それだけで、「なんと快適な場所なんだ!」と感動する程には疲れていた。
晴れ間には、湿気たシュラフとマットをやっと干せた。
乾いたシュラフに包まる。
それだけで感動するのだ。
タヌーと呼ばれる伝統的なハイダ族の村の遺跡は、グワイハアナス国立公園保護区およびハイダ遺産地域内にある。ハイダ語の「 t'aanuu 」に由来し、村の河口で見つかる豊富な海草を指している。1860年代にヨーロッパ人によって持ち込まれた疫病(天然痘)が広がり、ハイダ族は病気に冒され、村を離れた。比較的病気の少なかった北のグラハム島(マセットやスキッジゲイト)やカナダ本土へ移住。タヌーにはほとんど何も残っていないが、この場所の精神は今も強く残っている。家の窪みや苔むした倒れた柱は、村の配置を鮮明に伝えてくれる。そしてここは天然痘で亡くなった多くの遺体を埋葬した共同墓地でもある。村近くの小屋にはウォッチマンが常駐し、訪問者に情報を提供してくれる。
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タヌーに辿り着いた。村に入る前の礼儀として無線でウォッチマンと確認を取り合う。海上からマリンVHFで、カヤックで来たこと、人数は9名、島に上がらせてもらえるか、問いかけた。指示をされた浜がすぐには見つけられず、少し回り込んだところにカヤックをあげた。島の道脇は貝殻で彩られている。歩いていくとウッドデッキの綺麗な、ロッジが出てきた。ここでウォッチマンが出迎えてくれた。ハイダ族の女性。昔は島には畑があり、薬草を育て、魚、タコや貝を捕り暮らしていた。1800 年代半ば、集落の人口は約 550 人いたが、今は夏季にウォッチマンが滞在するのみ。地面に転がっている苔で覆われた丸太の数々に気付き、風で倒れたものと勘違いするが、これらは伝統的なロングハウスと呼ばれる家の柱、梁。そして年月を経て滑らかになった、古代の彫刻トーテムポール。外部との交流で金属が島に入ってくるまでは、貝で彫刻を行っていた。その当時を想像することしか今は出来ない。
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